最近営業先のお客様に3Dプリンターを使って8年目になります。と言うと、『3Dプリンターってそんなに前からあったんですね?』と言われます。更に私は3Dプリンター自体は30年前から存在し、その特許を世界で初めて出願したのが日本人(小玉秀男さん)であることを説明すると更に驚かれます。
正確に言うと、小玉さんが発明したのは3Dプリンターというよりはむしろ光造形の方で、展示会で見た三次元設計ソフトと、紫外線を当てると固まる光硬化樹脂からヒントを得て、特許を出願し、試作品や実験にも成功したといいます。しかし一研究者であった小玉さんが発表した研究結果に興味を持って実用化しようという企業は出てこなく、その間にアメリカで同様の発想の特許が出願されます。それが現在世界で最も有名な3Dプリンターメーカーである3D SYSTEMSになります。一方小玉さんの特許は出願審査請求期限が過ぎており、特許権利を取得することはできなかったと言われております。
3Dプリンターで相当稼いでいると思われる小玉さんですが、実は特許での収入はゼロです。
小玉さんは自身を振り返って、「自らの技術を理解してもらう努力を怠っていた。自分の発明した技術に信念を持って努力すべきだった」と後悔の念を述べております。結果的にその努力を行った所が3D SYSTEMSであり、大手の3Dプリンターメーカーまで買収し名実ともに世界最大級の3Dプリンターメーカーになっております。
当時の日本には古くからの伝統を守って新しい技術へ挑戦しない風潮があったのも確かです。挑戦する人に冷たい、投資してくれる人もいない、そんな時代です。
せっかく出した宝のようなアイデアも、企業には見向きもしてもらえず、結局は二番煎じのの海外企業にその技術が奪われる、今ではアメリカで1000以上の3Dプリンターに関する特許が取得されており、異国の他社メーカーの追従を許さない状況です。
そんな状況と比較して現代は、政府が3Dプリンターによるものづくりを支援している状況です。インターネットの発達や、クラウドファンディングなどもあって発明品に注目が集まりやすく、同時に出資者もあつまりやすい時代です。過去を知ると今現在自分がいる3D業界はめまぐるしく変化を続けて、昔のようなブルーオーシャンではないものの、まだまだビジネスの種は潜在的に埋まっていて、使い方とアイデア次第では色々なチャンスがあると感じております。